大罪人の祈り

「祈り」とは。「祈る」とは。

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キリスト的ビジネス思考・・・コップ一杯の水。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 」(ヘブライ人への手紙11:1)

我々は欲深い者ですから、何かうまいビジネスを考えてひと儲けしたいとか、大会社で出世し、少しでも高額の給料を得たいとか、そんなことを考えますね。
でも、そう簡単ではない。会社を辞めて独立したもののうまくいかず、借金がどんどん膨らむばかり。
私にも経験があります。キリストを信じていなければ、今頃どうなっていたことか、恐ろしいです。

キリストを信じれば、仕事はうまくいくのでしょうか?大金が手に入るのでしょうか?経済的にゆとりのある暮らしができるのでしょうか?
あなたがもし、それだけを目的に働いているのだとしたら、それは実現しない可能性大です。一時それが得られても、永遠に続く保証はどこにもありません。

想像してみてください。

あなたは今、ものすごく喉が渇いています。水が飲みたい。そして目の前にコップ一杯の水があります。
飲みたい!でもコップ一杯なんて一気に飲み干せば、すぐ終わり。コップ一杯だけでは渇きは癒えません。ぜひ大きなバケツくらいの水が欲しい。そうすれば少しくらい飲んでも、まだまだ水は残っています。余裕があります。安心です。

でもバケツの水だって、飲み続ければいずれ必ず無くなります。だから今度はもっと大きなバケツに水を貯めようと、水のある場所を探し回ります。水が見つからなかったらどうしよう。そんな不安に駆られながら。。。

驚くかもしれませんが、キリストを信じる者に与えられる水は、たったコップ一杯だけです。

しかし、たったコップ一杯のその水は、飲んでも飲んでも無くなることがありません。一気に飲み干し、コップをテーブルに置くと、また水が注がれている。何度飲み干しても、いつでもいっぱいになっているのです。

信じられますか?
実は、それを信じることが“信仰”です。

あなたは今、目の前にバケツほどの大量の水が無いと不安ですか?
それとも今、目の前にある水がわずかコップ一杯であっても、また水は注がれると確信できますか?
さらに言えば、コップの水とバケツの水、あなたにとってどちらが飲みやすく、おいしく飲むために適量なのでしょう。

水を、今あなたが必要としているもの、あるいは望んでいることに置き換えてみてください。健康でもいいし、知恵、知識、お金でも構いません。

キリストを信じる信仰とは、まだ目に見えないコップの水が、いつでもいっぱいに注がれていると確信すること。ジタバタと慌てて探し回らない。心からキリストを信じ、そしてキリストともに生きていけるよう願うこと。それだけで神は、その深い愛によって必要なものを必要な時に、必要なだけ、豊かに注いでくださいます。

これが神の“恵み”です。

時には信じられない方法で恵みを与えてくださいますから、神のなさることは手が込んでいます。

キリストを信じる者は、何も持っていないようで、全てのものを持っているのです。 

 

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