大罪人の祈り

「祈り」とは。「祈る」とは。

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視線の先

親愛なるイエス様。

 

わたしがあなたを知って、16年目の年が明けました。

 

でも、あなたの方は16年よりもっと前から、わたしを知っておられたと聞いています。

 

16年より前と今では、どうでしょう。あなたから見てわたしは変わりましたか。

 

あなたからプレゼントされた“新しい命”を感謝して、満喫して過ごして来たように見えるでしょうか。

 

わたしはその間、家族が増えました。仕事が変わり、家を建てました。

 

でも感謝して、というより正直ただ夢中で過ごして来ただけな気がします。

 

あなたはどんな顔をされているのでしょう。どんな声でお話になるのでしょう。

 

わたしはまだあなたの姿を見ることはできません。でもあなたが、いつでもどんな時でもわたしを見ていてくださっていることは知っています。

 

時にはわたしのことなんか忘れて、ゆっくりしたいと思うことはありませんか。

 

あなたはどうだったのですか。この世におられた短い間、あなたは幸せでしたか。

 

今を生きるわたしは、あなたが辛く苦しい思いをされたという話しばかり聞かされます。

 

そして、十字架の上で息絶えるその瞬間まで、わたしの幸せを祈ってくださっていたということも。

 

天の御国とはどんなところですか。お父様とどんな話をされているのですか。

 

あなたのことです。きっと今でもわたしを見つめ、わたしの幸せばかり考えてくださっているのでしょう。

 

あなたを十字架にかけたのは、視線の先にいるそのわたしであるというのに。

 

 

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