大罪人の祈り

「祈り」とは。「祈る」とは。

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誰に祈るのか②

祈ることは、求めることでもあります。

自分ではもちろん、人間の力ではどうにもならないことを訴え、助けを求める行為が「祈り」です。

 

それならば、誰に(何に)祈れば良いのでしょう。

誰に助けを求めればよいのでしょう。

人間を超えたチカラの持ち主に祈るしかありませんね。

 

それこそ、「神」に祈るべきではないでしょうか。

 

日本には「神」が大勢いますが、どうせ祈るなら、なるべく強い神様に祈った方が良いですよね。

中には「大自然が神」とか、「大宇宙こそ神」という人もいます。

 

確かに大きいから、お社にいる神様よりなんとなく強そうです。

 

ただし、大自然にしても大宇宙にしても、造られたものです。

神様って誰かに造られるものですか?

誰かの、何者かの手が入らないと神様は存在し得ませんか?

 

そんなはずはないですよね。

ということは、

大自然は「神」ではありません。

大宇宙も「神」ではありません。

 

大自然と大宇宙を造られた方こそが「神」です。

 

だから、

大自然を祀るのはやめましょう。

大宇宙を拝むのもやめましょう。

 

それらのものを造られた方こそ、本当の「神」だからです。

 

本当の「神」とは、天地万物を創造され、人間は元より大自然やこの世の全てを支配するお方。

 

それ以外、たとえ「神」を名乗っていても、それは「神」ではありません。

それは、偽(ニセ)神様です。(似せ神様でさえありません。)

 

偽神様に祈ることは自由です。

私たちは自由なので、何に祈ることも自由にできます。

 

でも、それは偽神様です。

人に造られたものは、「神」ではありません。

人を造ったものが、「神」です。

 

本当の神様とは、この世の全てのものより強く、力があり、全ての権威を超越します。

 

なぜそんなことが言えるのか?

 

「神」はご自分の意志により、全てのものを造られたからです。

自分で造ったものを自分で支配するのは当然ですよね?

 

そして私たちが誰に祈るか迷う時だって、一番強く、一番権威のある本当の神様に祈りたくなるのは、当たり前ですよね?

 

本当の神様にしてみれば、偽神様とは勝手に自分の名を騙り、せっかく自分が造ったものを奪おうとする不届き者ということになります。

「悪」そのものです。

 

「悪」も時には役に立つ(と思われるような)ことをするので、我々もうっかり本当の神様と間違えてしまうことがあります。我々の近未来を言い当てることくらい、簡単みたいですよ。

 

でも、「悪」は最後に突き落とします。奈落の底に、ズドンと突き落とします。

しかも、突き落として終わり。

「お前の行いが悪いから、罰が下った」のだと。

 

突き落とされた奈落の底から救い上げてくださるのは、たったお一人。

本当の神様だけなのです。

 

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