「祈り」は行為か、行動か。
「祈り」が「行為」であることは間違いないでしょう。
「行為」とは、『人が意志(意思)に基づいてすること。』(Wikipediaより)
だそうです。
ということは、それには「行動」が伴わなければいけないということでしょうか。
行動が必要だとするなら、どんな風に行動して祈るのでしょう。
神社や神棚で柏手を打って祈るという「行動」。
お墓や仏壇に手を合わせるという、これも「祈り」でしょうか。
また、パーティーや集会などの挨拶で、
「皆さま方の益々のご発展を『祈念』申し上げ・・・」
なんて言葉を聞きますよね。
そしてその後、「・・・それではお手を拝借!イヨ-ォ!」
なんて続くわけですが、
これも「祈り」の「行動」なのでしょうか。
では、病気やケガで身体が動かせず、手を合わせることすらできない人は、どうなるのでしょう。
「祈る」行動ができない人は、「祈る」資格が無いのでしょうか。
神社に行けない人は?
お墓に行けない人は?
そう聞くと、
「行けるなら行った方がいいさ。でも行けないなら・・・仕方ないね。自分で決めるしかない。」
おそらく、そう答える人が多いと思います。
結局、自分で決めるしかないのでしょうか。。。
家で(あるいは病院等で)何も行動せず、心の中だけで祈っていいのなら、どんなに楽でしょう。
そして、もし家で祈るだけで良いとしたら、実際に神社に行って祈る人と効果は違うのでしょうか。
同じ?
なら、どうしてわざわざ神社へ行くのですか?
人間とはなんとも不合理で不思議な生き物ですねえ。